突然、一家の大黒柱である父が大病を患って長い闘病生活に入ってしまいました。父は担当医が驚くほどがんばって闘病していたので、先々のことを相談するのは不謹慎な感じがして、何の相談もできずに見送りました。
でも、それからが大変でした。広い家に母と妹の2人暮らし。妹は仕事で帰りが遅くて、ほとんど母の一人暮らしのようなものに。庭も広くて、生い茂った木々で夜は真っ暗闇。そこに一人でいる母の不安が日に日に大きくなっていったんです。家もまだ築20年位だったのでメンテナンスも考えたのですがその費用も必要で、さらに住宅ローンの残債も残っている。どこを取り出しても問題が山積みでした。
考えがまとまらないまま、叔母に相談したところ、「プロに相談をしてみなさい」と言っていただき、不動産のプロの方を前に自分の思いを洗いざらいお話しました。そこからです。全てが好転しだしたのは。
プロの方は、母のしあわせを第一に、これからの未来を家族が幸せに暮らしていくためのプランを持ってきてくれました。『N家にとってのハッピーライフを迎えるためのご提案』がそれです。敷地の一部を売却し、その売却資金でローンの残債を清算し、新たに3世帯分離型の家に建替えするというものでした。
ただ父は長男ですから親戚の叔母達にとってここは「実家」です。しかも「実家」は昔から親戚一同が集まって楽しくすごす場所でもあったんです。その「実家」が無くなるかもしれないというので、叔母達は建て替えに難色を示していましたが、敷地の一部を売ることで、資金の工面も出来ましたし、叔母達の「実家」も残るということで最終的には納得していただけました。
それでもいざ、父の家が壊されるのを見た時は、身を引き裂かれる思いでした。いてもたってもおれずに、このプランで絶対間違いない、ハッピープランなんだから、みんなが幸せになれるんだから大丈夫、と自分に言い聞かせながら何度も提案書を読み返しました。実際完成した家をみた叔母達が「想像以上に素敵ね」と気に入ってくれてほっとしたのを覚えています。
新しい家ができて一番うれしかったのは母がすごく元気になったことです。父の長い闘病中にげっそりやせてしまって、すごく心配しました。でも家族が一緒に暮らすようになったら、安心したんでしょうね、食欲もでてきて、栄養バランスを考えた家族みんなの食事も作ってくれます。買い出しだって自転車に乗って行くんですよ。同居前は私が母の食事を作らないといけないかな、と思っていたんですが。今は母が作りたい時にやってもらって、母が疲れているときには私が作るような感じです。
生活スペースも私達と母と妹の3世帯分離型にしていただいたのでストレスもなく快適です。母のおうちでごはんを食べた後は自分たちのエリアに戻って、それぞれの生活スタイルで過ごしています。
母も大好きな猫と楽しんでいます。母は「やっぱり家族が一緒に住めるということが一番の幸せだね」とよく言います。遠く離れていると身体が不自由になったとき、わざわざ来てもらうのも気がひけると思っていたみたいで、母の将来の不安が消えたこともうれしいひとつです。
N家様に学ぶ「3世帯住宅」に踏み切るときにこだわりたいところ
3世帯同居の住まいは、プランの主軸がないと、それぞれの主張だけが飛び交って解決の道が見えてきません。N様はお母様の幸せを主軸に立て、そこから家族の未来が見えたことで着手されました。
親子でも兄弟でも毎日顔を突き合わせているとストレスがたまります。それを分離型居住にすることで解決されたN様。集合場所はお母様の居住エリア。用事が終わるとそれぞれのエリアに戻ることでストレスもたまらない、よい距離感を保てる空間を作られました。
玄関ドアは3つ並んでいますが、向かって左がご長女の2階建て住まい。真ん中のドアをあけると階段があってそれを上がると妹様の住まい。一番右がお母様の居住空間です。将来妹様が独立されたときに賃貸に出せるようにお母様と妹様の居住空間は1階・2階の完全独立型になっています。
「素人だとどうしていいのかわからない状況もプロが付くとすべてがスムーズに進行します。ひとつひとつ背中を押してくれて、気付くと新しい家への入居が完了していました。何年も悩んだ問題をさっとくみとって、親族間では言い難いことも代弁してくれ、それをすべて解決してくれるパワーはすごい!の一言に尽きます。」
2010年 4月 ご主人様ご逝去
【売却部分(35坪)】
2011年 9月上旬 自宅部分(35坪)の売買契約締結
10月上旬 仮住まいへお引越し
10月下旬 決済・引渡し
【新築部分(50坪)】
2011年 9月上旬 新築詳細打ち合わせスタート
9月下旬 請負契約締結
10月上旬 建築確認申請
10月下旬 建築着工
2012年 3月上旬 新居竣工、お引越し、ご入居